鴻紋軌道鉄橋「五号杭橋」
かつて栄華を誇った鴻之舞鉱山。その名残を伝えるものは、いまや廃墟となった物悲しい痕跡だけだ。
今はまったく人が暮らしている形跡はないが、かつては約一万人以上が暮らすまちがここにあった。金の産出量では国内第三位を誇った鴻之舞鉱山だ。
一九一七(大正六)年に住友(のちの住友金属鉱山)が本格的に金採掘の事業に乗り出し、人口もピークの一九四二(昭和一七)年頃には一万三千人を数えた。
鴻紋軌道は、紋別中心地と鴻之舞との間に敷設され、鴻之舞鉱山から産出されたものや、鴻之舞への物資輸送の役割を果たした。運行期間は一九四三(昭和一八)年から、一九四八(昭和二三)年までのわずか五年間であった。
道道305号を跨ぐ鉄橋が五号杭橋で、運行時の姿を唯一とどめているものだ。そのほかにも数カ所橋桁だけが残っている。
一九七三(昭和四八)年一〇月三一日に閉山すると、わずかひと月足らずで無人地帯になってしまった。
DATA
鴻紋軌道
- 1940(昭和15)年10 月 工事着工。
- 1943(昭和18)年6 月 竣工。
- 1948(昭和23)年 廃止。
- 営業距離 約28km(紋別~元山)
- 駅数:14(起終点を含む)